連載:文キャン前史 最終回
これまでの二回で、文キャンを含む一帯に広がっていた「戸山荘」について紹介しました。
「戸山荘」は江戸時代末頃から荒廃し、その後は軍用地として、全く異なる形で用いられてきました。
連載:文キャン前史 第一回 | 文キャンアーカイブ
連載:文キャン前史 第二回 | 文キャンアーカイブ
「文キャンの建物の歴史」で紹介した通り、高等学院の建物を基礎として誕生した文キャンは、その後も何度か増築・建て替えが行われました。しかし、その土地はいつから「文キャン」となったのでしょう。
今回は、現在「文キャン」とされる土地に焦点をあて、戸山荘以後の変化を取り上げます。また、土地の歴史を記した掲示板の所在についても紹介します。
1,「戸山荘」当時の文キャン
現在の文キャンは、戸山荘における池(①)~馬場(②)に至る範囲に位置しています。
その西側、現在の学生会館の辺りに龍門の滝(③)がみられます。
中央は川が横切っていますが(④)、これは現在の文キャン生協前の辺りと推測できます。
<宝暦(1751~1763)頃> ※赤色部分は現在の文キャンの位置