文キャンの建物の歴史
文キャンこと早稲田大学文学学術院(旧文学部)キャンパスの建物の歴史を振り返ります。
1,UNDER CONSTRUCTION
下の写真は2012年7月10日に撮った建て替え工事中の33号館の写真です。よく見ると覆われた布越しに開口部分が透けて、旧舎のデザインを踏襲していることが伺えます。(来年2月完成予定)
この記事では、文キャンの中心である33号館の建て替えという(その是非は置いておきますが)いい機会なので、昔の地図や航空写真を用いて文キャンの誕生から今にいたるまでを追っていこうと思います。長くならずまとめたつもりですので、最後まで読んで頂ければ幸いです。
2,誕生そして全焼(1908-)
画像:国土変遷アーカイブスより
戸山キャンパスの敷地は、今から104年前の1908年に購入されました。それ以前は陸軍戸山学校の運動場だったと明治時代の地図に記されてます。そこに作られたのは早稲田大学の付属高等学院です。大正当時の大学令では私立大学に「高校に準拠する大学予科の設置」が要請されていました。
1920年に第一期工事、1921年に第二期工事が完了します。その後も移築・改築が繰り返されました。左の写真は1936年の航空写真です。細長く横に伸びる校舎が見えます。
大きな転換点は太平洋戦争でした。1945年の東京大空襲で当時の校舎、全26棟が全焼します。右の写真は米軍が撮影した1947年の航空写真です。基礎だけがかろうじて確認することができます。
3,戦後の大胆な変更(1946-)
画像:iPhoneアプリ「東京時層地図」より
戦後に建設された校舎が現在のキャンパス計画の基盤になりました。戦前は南側にあったグラウンドが手前に移り、南の丘の上に校舎が建てられます。大きな変更があったことが二枚の地図から読み取ることができます。
1949年、現存する最も古い校舎である18号館(現32号館)が竣工されます。というわけで文キャンの最年長校舎は32号館、齢63歳です。また同年に建てられた旧17号館は1980年の取り壊しまで戸山キャンパス唯一の木造校舎として残存していました。当時は下足厳禁だったようです。