文キャンアーカイブ

連載:文キャン前史 第一回

先日の記事では「文キャンの建物の歴史」について紹介しました。
この連載では現在の文キャンの場所が、文キャンになる以前の歴史、特に「戸山荘」と呼ばれた江戸時代の屋敷に焦点を当て、その痕跡を追って行きます。
今回は第一回として、「戸山荘」とはどのようなものだったのか、紹介したいと思います。

1,文キャンに眠る記憶と記録

「戸山荘」

皆さんはこの名前を聞いたことがあるでしょうか?
これは、江戸時代、文キャンを含む一帯に存在した尾張藩下屋敷の通称です。
その範囲は広大で、下の地図を見るとわかるように、今の文キャン、国立国際医療センター、戸山公園、戸山高校などを含むものとなっています。

左:宝暦(1751~1763年)頃の図
右:現在の地図における戸山荘の範囲

当時、諸大名は江戸に屋敷を構えており、本邸である上屋敷以外に中屋敷・下屋敷を設けていました。

尾張藩は上・中・下それぞれ1・2・6ヶ所を設けており、戸山荘はそのなかで最も大きいものだったといいます。

戸山荘が作られたのは1668年頃、尾張藩藩主が徳川光友、江戸幕府将軍が四代目将軍徳川家綱の時代でした。

戸山荘は様々な趣向を凝らした庭園で有名となり、多くの大名や将軍が訪れたといいます。

では、どのような庭園だったのか?次に庭園の風景を彩る特徴を紹介します。

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2012.9.6

連載:文キャン前史 第一回

この連載では現在の文キャンが、文キャンになる以前の歴史を追って行きます。(1690〜1850年代)