文キャンアーカイブ

西川美和インタビュー 前編

入ってみてからわかること、かわること、こだわれること。

専修のことでいえば、「文芸専修って一体なんぞや?」というような疑問もあったんですよね。
早稲田の人って考え方がとても自由でいわゆる破天荒な人たちの寄せ集めかと想像していたら、実は意外とまとまっていて、将来もきちんとした足場のところに進んでいきたいっていう人たちが多かった。特に文学部の女の子なんか、そんなに野心的でもないし、わりと折り目正しくてきちんとした人が多い印象でしたね。そういう中で、専門も持たずに世の中に出て行くってどうなのかな、とやはり焦ったわけですよ。周りに影響されたというわけ。
そうして美術史学を専修したものの、やっぱりそんな専修の選択の仕方をした人間がしっかり勉強していくはずもなく……全く勉強しませんでした(笑)。先生方に申し訳ないですね。
でも早稲田のいいところはね、そういう居方もなぜか許されるところですよね。その勉強しないで大学にいた期間にたくさんの時間を使って映画や小説に触れられたのが、自分にとって良い時間だったのかな、とは思います。

―サークルは映画関係のものではなく、写真部に所属なさっていたのですね。当時は西川さん自身がカメラを構えて—

ずっと写真撮ってた。ずっと。ずっと撮ってずっと焼いてた。

 

―とすると、最終的に「映画監督になる」と思い立った決め手はなんだったんでしょうか。

きっかけの作品っていうものは無いんです。「映画監督になろう」というより「映画の道に行こう」と決めたのは、嫌というほど写真をやったからなんですよ。映画サークルにも結局入りませんでしたし、映画を自分が撮る、という発想はそんなに無かったです。今の自主制作映画を作る学生たちは家庭用のカメラでもHDで撮れるから、結構クオリティの高い作品が撮れますよね。でも私たちの頃って、8ミリフィルムで映画を撮るのが自主制作映画の作り方だった。でも私は劇場で35ミリの劇場映画を見て育った単なる田舎者だから、「私が憧れてるのは8ミリ映画じゃない」って思ってたんですよね。
写真はカメラひとつでできるし、フィルムだってそんなに高くないし、いいところまで作りこめる。たった1人でできますしね。
そういった理由で写真を撮っていたんだけれど、やりつくした結果として「写真じゃない!」って思ったんです。

 

—その理由は—

自分には本当のところで写真のよしあしはわからない、というのが、薄ぼんやりとではあるけど、つかめた気がしたんですね。あと、写真には言葉がないでしょう。言葉がないというのは写真の表現の醍醐味だと思うけど、私はやっぱり言葉が好きだったので、言葉なしで表現をする写真の世界に最終的に息苦しさを感じてしまった。「ああ、これでもないな」と思ったんです。
そこで「やっぱり映画なのかな」と。「ずっと好きだった映画の道に進んでいこう」と思ったんです。当時は監督志望ではありませんでした。ただ、映画という世界になんとかして携わって生きていきたいと考えていました。

編集部のカメラを構えていただきました。

interview

2012.12.3

西川美和インタビュー 前編

OBOGインタビュー第2弾は映画監督西川美和さん。
夢追う文キャン生、必見。