文キャンアーカイブ

西川美和インタビュー 前編

今回のOGインタビューは映画監督の西川美和さん。
文キャン卒業生の花形ともいえる西川さんに、早稲田大学に入学してから目標の職業につくまでの経緯、当時の心境をお話しいただきました。
「あれになりたい」「これがやりたい」「何にもなれないかもしれない」—
自分の”ぶれ”を許す代わりに、選び続けることはやめない。
迷うことにすら迷ってしまう、迷子の文キャン生たちに幸あれ。

プロフィール


(撮影:関根 史)

西川 美和 (にしかわ みわ)

1974年広島県生まれ。早稲田大学在学中から、是枝裕和監督作品『ワンダフルライフ』(1999年)にスタッフとして参加する。その後『蛇イチゴ』でオリジナル脚本・監督に初挑戦。毎日映画コンクール脚本賞等、国内映画賞の新人賞を獲得し、その後は『ゆれる』『ディア・ドクター』を発表。映画監督としての仕事に加えて、TV向けドキュメンタリー作品の撮影や小説、エッセイの執筆等、幅広い活動に対する評価も高い。最新作の「夢売るふたり」が2012年12月現在、全国映画館にて公開中。

西川さん 早稲田時代の一問一答

1 学生時代に住んでいた家・土地は?

→中野に住んでました。中野で引っ越しを二回。一回目はお風呂なしの四万円の六畳一間にキッチンの家。もう一軒は中野の早稲田通りの近くです。上高田というあたりに住みました。

 

2 在学中、大学周辺で行きつけだったお店は?

→カフェGOTOって、まだあります?そこによく行っていました。あそこはいい喫茶店ですよね。ケーキをよく食べてましたよ、タルトタタンとかおいしかったな。ずっとあそこで本を読んでました。毎日コーヒー飲んでケーキ食べて、そんなお金がよくあったなとそれはふしぎですけど……

 

3 在学当時、印象的だったニュースは?

→やっぱり、(在学していた1995年は)阪神大震災や地下鉄サリン事件の頃だから。一番大きなニュースはこの2つ。大学一年生の終わり頃だったかな。

 

4 当時の所属サークルは?

→一年生のときには広告研究会に入っていたんですけど、ちょっとノリが違ったので当惑してしまって、二年生から写真部に入りました。当時の部室は全て取り壊されてしまったと聞いています。私の頃は社会科学部があるあたりにものすごく汚い部室があって、そこの暗室にずっと入ってました。

 

5 第一文学部時代、西川さんの専修は?

→美術史です。
本当は文芸専修に入ろうと思って受験したはずなのに、大学一年生になって心が折れちゃって。専門を身に着けといたほうがいいんじゃないのか、というところもありました。今も文学部は二年生からの専修選択なんですか?

 

—はい。二年生に進級する時点で専修を決定します。かつての文芸専修は文芸・ジャーナリズム論系という名称で文化構想学部に移っています。第一文学部、第二文学部という枠組みは消えて、文学部も文化構想学部のどちらも夜間学部ではなくなっています。

(夜間学部がなくなったのは)もったいないね。二文なんてすごくかっこよかったのに。
私も一文(第一文学部)にはブランド志向で入ったし、物書きになるんだったら一文に入りたいって、その想いだけで入学しようと思ったんです。二文はもっとアウトローな印象。学校に来ないで映画を見たり本を読んだり、とにかく文化に対するこだわりの強い人たちがいるところっていう感覚。独特の文化のにおいがあったから”二文中退”なんていうと本当にかっこよかったんですよ。こんなこといってたら大学に怒られちゃうけど(笑)

 

―今のお話にもありましたが、元々、西川さんは映画監督ではなくライターになりたかったとのことで —

ルポルタージュを書いたりする仕事につければいいなと思っていました。
だけど、早稲田って色んな人に出会うからその想いが大学に入ってから非常にゆらいだわけです。写真部で写真ばっかり撮ってましたから、写真家というかカメラマンとか、そういう道もあるのかなと思ったりもしましたし、要は、入ってからぶれたんです。

 

interview

2012.12.3

西川美和インタビュー 前編

OBOGインタビュー第2弾は映画監督西川美和さん。
夢追う文キャン生、必見。