文キャンアーカイブ

西川美和インタビュー 後編

前回(インタビュー前編)に引き続き、OGインタビューは映画監督の西川美和さん。
東京、地元、大学生活—それぞれが選んだそれぞれの場所で出会った”縁”に気づいていくのは、
簡単なようで難しい。ご縁を繋ぎ続けること。”やりたいことがやりたい人”の、永遠の課題なのかもしれません。

思い出発掘、第二弾

―文キャンの敷地のなかで、どこか思い出の場所のようなものはありますか?

図書館。立派な—きれいな図書館でしたよね。そこではよく勉強してたな。勉強してないって言いつつも、試験の前には図書館で勉強したり本を読んだり、いろんな写真や絵を見たりしてたんですね。中央図書館より、文学部の図書館で画集を見たりしていました。あと思い出は、なんだろう—カフェテリアでカレーを食べていた(笑)。安いやつ。

 

―4年間、しっかり大学に通われたほうだったのでしょうか。

いやー、学校行ってなかったんじゃなかったかな。いまだに卒業できてない夢を見ることありますもん(笑)。
なんの授業だったのか忘れたけど、すごくいい先生というか優しい先生がいて、みんなしゃべったりしてるのにちっとも注意をしないんです。私、その先生の授業を何度真面目に聞こうと思っても眠っちゃうのね。結局、全く行かなくなってしまったの(笑) 。でも誰かにその講義のノートを取ってもらった記憶もないし、評価対象が論文だったのかテストだったのかも覚えてないし……結局その講義の単位が取れたのか、取れてないのかが自分の中で消化できてないんですよ。それがやっぱりどこかひっかかっているのかもしれない。その人の良い先生に対する罪悪感もあるのかもしれないんだけど……いまだにその講義の単位が取れてないっていう電話が学校からかかってくる夢を見るんですよ(笑)

 

―ちなみにどんな感じの授業だったのでしょう?

なんだったのかも覚えてない(笑) でも美術史学の1つだったんでしょうね。

 

―今はブリッジ科目という文キャンの学部内で授業の互換ができる制度があるんです。良くも悪くも自分の専門の講義ばかりとらなくても卒業できるのですが……西川さんには取ってよかった講義の思い出はありますか?

やっぱり映画の講義をとりたかったんだけど—その当時はメディア関連の授業が少ないわりに人気があって履修登録できなかったから、講義に潜ってました。岩本憲児(現在は日大芸術学部教授)っていう非常に有名な先生がいらしたんですけど—もう早稲田にはいらっしゃらないのかな。
その先生がおっしゃった映画を早稲田のビデオ屋で借りて帰ってみてみたらすごくおもしろくって衝撃を受けました。あとは何を受けたかなあ。それくらいしか記憶がないですね。本当に真面目じゃなかったからね、私。

 

―アルバイトはしていましたか。

バイトしてましたよ。いろんなこと。京王デパートの地下の食料品売り場で天ぷら揚げたり。

 

―結構、お酒も飲まれる方だと—

飲みます。(当時も)飲んでました、ものすごく。飲む人たちが本当に多かったですもんね。でも、たとえばサークル全体で「わーー!!!」っていうノリで飲むのは、私はちょっと苦手だった。「全体、右向け右」みたいな感覚がだめでね。ひねくれた性格だから(笑)。そうじゃなくって、「各々が各々でいいんだ」っていう風なのが—きっと本来早稲田ってそういう校風でしょ?全体主義じゃなくて、みんなそれぞれがそれぞれの信念を持って、それぞれの生き方をしていって、お互いを認めるんだっていう。やっぱり、(早稲田生には)そうあってほしいですよね。今もいろいろと不安な時代だろうけど、エリート商社マンになる人間がいてもよし、芸術家になる人がいてもよし、で。

(撮影:関根 史)

interview

2012.12.28

西川美和インタビュー 後編

映画監督西川美和さんへのOGインタビュー、後編。地元から早稲田へ、早稲田からその先へ。