文キャンアーカイブ

福澤朗インタビュー 後編

早稲田界隈は「オープンスペース」

福澤朗さん

– 当時のサークルはみんな喫茶店にたまっていたのでしょうか?

当時はみんなそうでしたね。サークルごとにたまり場があって。粘りましたねー、あの頃は。よく行った店だと、「キッチン南海」、「尾張屋」。「高田牧舎」はOBになってから行くんだよね、高いから。文学部の人はあまり大隈通りの方は行かないですよね。馬場下町交差点界隈だと……「オトボケ」はよく行きました。あの油っこい。学食は6年生になってからよく使ったんですけど、昼休みに行くと仲の良い学生同士が集まってるので、ピーク時は避けていました。3限終わりくらいに行って、残り少ないところをいただいて。

それと、早稲田を語るにはこの名店を言わなきゃいけなかった。ラーメン屋の「メルシー」。大学時代にお世話になったというよりも、中学高校の校舎に対面した立地だったので、より一層印象に残っているところがあって。コストパフォーマンス的には都内随一じゃないかと思いますね。400円台前半でしょ。ちょっと塩分がやや強いのでご飯によく合う感じで。ひとつの栄養源になっていました。「メルシー」とか「オトボケ」とかには、OB・OGがある日突然食べたくなる吸引力っていうのがありますよね。

interview

2012.1.5

福澤朗インタビュー 後編

福澤朗さんインタビュー後編。キャンパスを取り巻く早稲田の街での思い出も。