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福澤朗インタビュー 前編

そういうわけで、僕は大学2年生の冬に演劇集団「円」という劇団の養成所の試験を受けました。大学3年生の4月からもう週3回、公演が近づくと週5~6回劇団のほうに行っていたので、当然学校にはほとんど行けなくて。大学4年生、5年生と3年間、ずっと養成所に行ってたんですね。でも、大学5年生の冬に、最終オーディション――それに合格すれば正劇団員になれる、という試験に落ちまして、やむなく大学6年生の春から就職活動を始めたんです。ただ、養成所に通っていた3年間でおびただしい量の単位を落としていたので、卒業するには科目登録の制限単位数を超えて登録しなきゃいけなかった。いろんな事情がある人は制限を超えての登録が許されるということだったので、第一文学部の学部長と面接をしてオーバー単位の登録を認めていただき、大学6年生の4月以降は、1限から6限までのカリキュラムを月曜から土曜までこなしていました。卒業が前提じゃなきゃ就職活動ってできないからね。そういうめちゃくちゃなカリキュラムを組ませてもらって。

あとは本当に成績がいい悪いよりもまず、単位を落とせないという、勝たなきゃいけないって言うよりも負けられない戦いを1年間しました。優を取る必要はないんだけども、赤点は取れませんから、必死に勉強しましたね。日本テレビに内定を頂いたあとは必ず答案用紙の白紙に「〇〇教授様」っていう一筆を書き添えて、「このたび日本テレビ放送網株式会社にアナウンサーとして内定を頂戴するに至りました。来年4月以降はブラウン管を通じて教授とお目にかかることと思われます。何卒よろしくお願いします」ってね(笑)。それがたぶん幸いしたんでしょう、優はほとんど増えなかったですけど、単位を落とすことなく卒業できました。本当に嬉しかったですね。

卒論は『日本家屋における教育的意義についての一考察』みたいな、それっぽいタイトルで出しました。昔ながらの縁側があってふすまがあって、土間があって――いわゆる「オープンスペース」じゃないですか、日本家屋っていうのは。自分の家の中でも、庭に向かっても、その庭の向こう側、隣の家に対してもつながりがあるというか。だから、そこでお母さんは食事の準備をしながら、ふすまの向こう側にいる子供が何をしているかっていうのを音で感知することもできる。さっきまで縁側で遊んでいたあきらくんが、「あれどっか行っちゃったわね」って隣の人が気がついちゃったり。そういう、子供を健やかに育てる土壌が日本家屋にはあったんだ、というような論文でしたね。教育学なんか何にも知りませんけど、この時は2,3冊本を読んだような気がします(笑)

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2011.10.30

福澤朗インタビュー 前編

フリーアナウンサーの福澤朗さんにインタビュー。当時のキャンパスでの思い出をたっぷりと聞く。