文キャンアーカイブ

福澤朗インタビュー 前編

大学への期待と落胆、「負けられない戦い」

福澤朗さん

– 大学時代、福澤さんは教育学専修だったと伺ったのですが、どのようなことを勉強されていましたか?

これといったことは勉強してなかったですね。教育学専修を選んだのも、決して教育学に興味があったからではないんです。第一文学部は、1年生の時の成績で希望専修に行けるかどうかが決まっていて、当時の人気専修は、心理学、社会学。女子だったら日本文学、英文学だったかな。僕が行った教育学は、いわゆる定員割れを起こすような専修で。僕は1年生の時の「優」の数が、確か5つもなかった。そんな連中が行ける専修は限られていて、その中から僕は教育学を選んだって言うのが正直なところです。

だから学生時代―通常4年間なんですけど―6年間で何を勉強したかって聞かれても、これを勉強しましたって言えるものは何も無いんですよ。強いて挙げれば、非常に皮肉めいた言い方になりますけど、90分間椅子に座って授業を聞いていても学校は何も与えてくれない、ってことを学びました(笑)

僕は早稲田高校からの推薦で大学に入ったんです。そうすると、僕だけかもしれないけど、過度な期待を持って早稲田に行くわけですよ。僕の場合はなまじっか第一文学部を選んで、文学部っていうのはやっぱり数多の著名人を輩出してる学部だってことは知ってたから、「文学部に行ったら情熱的な出会いがあり、同級生と教授たちの間で火花散るような切磋琢磨があり、そんな中で成長して自分も著名人の仲間入りできるのかもしれない」なんて勝手な幻想を抱いていたんです。

でも、まあ皆さんご存知のようにそんなことは全くない。要は自分自身なんですよね。たぶんそれは文学部に限らずどの学部もそうで、やる気がある人にはチャンスがあるし、やる気がない人はどんどん大学から遠ざかっていく。僕は、過度な期待を寄せた段階で受け身だったんでしょうね。能動的に学校に関与すればいろんなものを与えてくれるんだけども、「学校側がサーバー、学生側がレシーバー」というような発想で学校に行くと何も得られない。自分からサーブを出すぐらいの気持ちで行かないと学校側は何も与えてくれないんだ、ということがわかりました。

他の学生はほとんどが受験戦争を経て早稲田っていう非常に偏差値の高い大学に入ってるから、人生の踊り場みたいなポジションの4年間、つまりはのんびりしたモラトリアムな期間として大学生活を捉えてる人が多かったんです。僕も、「なんだろうなぁ」と違和感を感じつつも、最初はそういった仲間と一緒にサークル活動もしていたんだけど、やっぱり物足りなくなって。言い方は変だけれども、「ここに4年間いたら腐るな」と思った。「なんか切磋琢磨できないな」と思っちゃったんです。それで、学校から離れることを主眼において、学外の劇団に行ったんですね。もともと演劇界には興味があったので。

interview

2011.10.30

福澤朗インタビュー 前編

フリーアナウンサーの福澤朗さんにインタビュー。当時のキャンパスでの思い出をたっぷりと聞く。