福澤朗インタビュー 前編
– 福澤さんは学生時代、あまり学校に行ってらっしゃらなかったということですが、キャンパス内で思い出の残る場所はありますか?
もう本当に断片的に語りますけど、まず入学式。文学部の中にある体育館みたいな……記念会堂でしたっけ? そこで何かあったんですよね、入学式っぽいセレモニーが。で、そういうセレモニーの前後というのは、数多くのサークルが会場の外で待ち受けていて、新入生の勧誘に来ますよね。で、僕は見た目が相当老けていたのかもしれないんですけど、誰にも勧誘されなかったんですよ。とうにブームが去っていたファッションスタイルで行ったのがいけなかったのか。当時中村雅俊さんとかが青春ドラマとかで着ていたような、黒い別珍のジャケットにGパンみたいな装いだったから、「あ、これは在校生だな」と思われたのかもしれないですね。その辺りからちょっと「ん? この学校とは相性が良くないのかもしれない」と、違和感を覚えました。その時は寂しく家に帰った記憶があります。
それから、やっぱり文学部のスロープは印象に残っています。スロープの上り下りにいろんな人と出会って、時に異性とのトキメキがあったりして。文学部は半分が女性だったと思うんですけど、僕は中学高校と男子校なので、女性とキャンパスの中ですれ違うってことに慣れてないわけですよ。一方で、例えば都立高校から来た連中っていうのは、共学出身で慣れているから、「よう!ナントカちゃん!」みたいな感じでフレンドリーに話すじゃないですか。当時のファッションスタイルといったら、結構トラディショナルな、パステルカラーでVネックのセーターとかポロシャツとかチノパンとか、女性だったら巻きスカートとかハイソックスとか。「ニュートラ」(ニュートラディショナルの略)、「ハマトラ」(ヨコハマ・トラディショナル)って言いましたね。それに髪型は「聖子ちゃんカット」があって、小脇に抱えたバックからテニスラケットのグリップが覗いてる、みたいなね。そんな中で僕は中高、男子校の上に、非常にインドアな卓球部で、汗臭い中で日々を過ごしていた。というわけで、そこでも違和感を覚えましたね。女性と普通に話すまでに……いや、結局普通に話せなかったかな。結局、女性と対等に話していいんだって気付くのに、2,3年かかりました。話せるようになったのは劇団のおかげなんですよ。劇団って男だから女だからと構ってられないので。本番中は舞台の袖でみんな、最低限のものしか身につけずに着替えますからね。それで、男性も女性も同じなんだなってわかりました。劇団のおかげでようやく女性とも普通に話せるようになりましたが、それまでは、スロープでは異性の誰にも話しかけることができなかったですね。そんな思い出があのスロープにはありました。