連載:文キャン前史 第二回
3,陸軍演習場時代
荒れ果てた戸山荘跡は、その後軍の用地とされました。
1871年の廃藩置県に伴い、戸山荘は鹿児島藩兵をはじめとした御親兵の屯所とされました。
1873年には陸軍用地となり、兵学寮戸山出張所(後に陸軍戸山学校)が設置、訓練所とされます。
1910年の戸山荘一帯。戸山学校や射撃場などが見られる。(『地図で見る新宿区の移り変わり』より)
橙線が戸山荘の敷地、緑線が現在の戸山キャンパスの敷地
その後も長く軍用地とされましたが、一帯は戸山ヶ原と呼ばれ、「戸山」の名は残りました。
キジや沢蟹などが住み着いており、近所の子供達の遊び場となっていたようです。
戸山ヶ原の様子(『新宿時物語』より)
4,戦後の変化
戦後になると、戸山ヶ原の様子は一変します。
住宅不足解消のため、1945年頃から戸山荘跡一帯に木造の「戸山ハイツ」、そして日本初の鉄筋住宅団地である「戸山アパート」が建てられます。
また、1946年には旧近衛騎兵連隊の建物に女子学習院が移転、1954年には戸山公園が開園するなど、一帯は現在の姿に近くなってきます。
1980年の地図を見ると、現在とほぼ変わらない様子が確認できます。
1980年の戸山荘一帯(『地図で見る新宿区の移り変わり』より)
橙線が戸山荘の敷地、緑線が現在の戸山キャンパスの敷地